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提灯の始まりは、中国から伝えられた、折りたためない「かご提灯」であったことが、室町時代末期の文献にあります。現在のような折りたためる提灯がはじめて文献に登場するのは、天文5年(1536)の「日蓮聖人註画讃」であり、ここに描かれている提灯は、かご状ではなく、折りたため、2本の柱と取っ手が底板から出ているものです。しかし、この提灯は、現在の形とはかなり異なっており、「かご提灯」の構造を踏襲したものでした。安土桃山時代になると、現在のぶら提げるタイプの提灯に近いものが登場しますが、それは、上下の輪がないものでした。現在のお祭りに使われるような形の提灯が登場するのは、17世紀中頃、江戸初期になってからです。いずれにしても、竹ひごと和紙を使い、折りたためる構造の発案は、日本独特のものであり、提灯の基本構造は、今から約400年前の16世紀初めに、考えられたと言えます。さて、細いひごを用い、薄い和紙を張り、絵を描く岐阜提灯はいつ頃に出来たのでしょうか。岐阜提灯の起源は、御所の夏の涼灯であると伝えられています。江戸初期のお盆を迎える洛中洛外図には、すでに秋草柄の提灯が描かれていますが、これが岐阜提灯の元ではないかと思われます。岐阜特産の提灯として文献上確実なものとして、1824年(文政7年)の「宮川舎漫筆」のなかで、「薄き紙にて美しき細画を用い」たものを「岐阜挑灯」と紹介しています。更に、明治初期に編纂された「増補岐阜志略」によれば、18世紀中頃に御提灯屋十蔵なる人物が尾張藩に「御献上御用」提灯を作ったとされますが、正確なことはわかりません。推測ですが、岐阜提灯は、おそらく京都にて基本が出来上がり、18世紀初めか中頃には、現在の岐阜提灯の原型が、出来たのではないかと思われます。 |